設立のあらまし

 「なつかしい未来」というコンセプトは、岩手県中小企業同友会を構成する地元のメンバーが震災以前から目指していたものです。それが「なつかしい未来創造 株式会社」の設立に至ったあらましをお伝えします。

中小企業家同友会での学び合い(2007年 前後)

 陸前高田市で、食品の卸業を営む橋勝商店を経営していた橋詰真司はある日、自社の経営について高校の先輩であり地域のリーダー的存在でもあった河野通洋(八木澤商店9代目、当時34歳で社長職には未就任)に相談を持ちかけました。

 商店街で閉店がつづき、人が少しづつ地域を離れてゆく陸前高田の状況に対し何かしなければと感じていた河野は、それをうけて、地域の経営者同士が連携を取ってゆける場づくりの勉強を仲間たちと始めます。

 その中で、強い者だけが生き残る社会でなく、人々がともに生きてゆける社会を実現してゆくことは、ほかでもない地方の中小企業の役割であることを実感。

 岩手県中小企業家同友会の気仙支部の設立を構想し、陸前高田ドライビングスクールを経営する田村 満(当時60歳)にも参画を依頼。準備過程を経て28名で気仙支部を設立します(2012年6月時点で86名)。

 彼らは勉強会を重ね、ときには互いの財務諸表まで見せ合いつつ互いに教え合いながら横の繋がりと全体の底上げを図り、その過程で、持続性の高い自立した地域経済や、社会的課題を解決する企業活動のあり方の必要性を学んでゆきます。

 そこに2011年3月11日の東日本大震災が起こりました。

地域での社会起業による復興の模索(2011年3月〜夏)

 大津波によって、河野は会社と住宅の両方を、橋詰・長谷川は会社の社屋設備の一切を失います。

 中小企業家同友会気仙支部のメンバーは、高台にあり比較的被害の少なかった田村のドライビングスクールを拠点に、全国の中小企業家同友会をはじめ、各地から届けられた支援物資の配布を始めました。同自動車学校には一時期、被災した事業者らの仮設事務所から弁当や下着の売店まで、多様な機能が集積しました。

 併行して彼らは、それぞれの会社の再建に取り組んでゆきます。

 一方、内閣府による2011年度のインターンシップ事業を受託した一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク(以下SBN。この年に受託した全国12団体の一つ)が、東北の被災地における受け入れ先企業を探していました。

 SBNで事務局をつとめるソシオ エンジン・アソシエイツの服部直子(代表取締役副社長。ソシオ エンジンはソーシャル・マーケティングを専門領域とする東京のコンサルティング会社。「生物多様性の10年委員会」をはじめ、行政・企業・NPO等の各セクター間をつなぎながら、コーディネーションと企画・実施業務を重ねている)と中野里美の二人が、4月上旬から東北に入ります。

 二人は仙台・石巻・東松島を経て、人の紹介を通じ、陸前高田の田村・河野両名と別々に出会いました。

 被災地の企業におけるボランティア経験は学生たちにとって大きな経験になるのでは? と打診したところ、陸前高田側の彼らは「学生たちにはボランティアでなく、起業家精神(アントレプレナー・シップ)をもって来て欲しい」と応答。

 翌6月末から9月の間に、のべ90名ほどの学生が現地に入り、経営再開のままならない復旧時期の企業におけるインターンシップを体験。最後の週にはめいめいから陸前高田における新規事業の提案が行われる、少し珍しい形のインターンシップ事業が展開します。
 河野・長谷川・橋詰等の若手経営者は、被災地の現実に戸惑う大学生らを励ましながら、みずからをも鼓舞して日々の仕事に取り組みました。

 このインターンシップが「事業提案」という性格を担ったことから、ソシオの服部と中野の2名は現地に滞在して、日々のコーディネイトと教育支援にも従事。受け入れ先との企業経営者たちと関係性を深めてゆきます。

 そんな中、服部らは田村から、復興ビジョンの絵づくりに関する相談を受けました。

 

継続的なかかわり合いを形に(2011年夏〜9月末)

 服部らは東京の知り合いを辿って、田村の頭の中の陸前高田の復興イメージを視覚化してくれるイラストレーターを探し、新潟県中越地震の際にもボランティアで復興まちづくりの絵を描いたことがあるという打越長武さんに出会います。

 追って、その絵を含む復興計画案を市に提案。

 併行して、ソーシャルビジネス・ネットワークの起業家・経営者らと陸前高田の地元メンバーによる民間ベースの復興構想会議「陸前高田千年みらい創造会議」が、週一回のペースで始まりました。

 その席で「話し合いで終わらせずに、それを具体化してゆく〝復興まちづくり会社〟をつくってはどうか?」とソシオの町野が提案。各メンバーが賛同。

 9月中旬に開かれた設立準備会で「その会社の役員は?」という話に至った際、河野から町野と服部に対して、「役員になってくれますよね?」「まさか『つくったらどうですか?』で終わりじゃないですよね?」という問いが投げかけられました。

 町野は、応援団として継続的にかかわるつもりではいましたが、瞬間的に覚悟を決めて「わかりました」と即答。服部はその場で「でも東京の人間が二人も役員に名を連ねるのはどうなんでしょう?」と問いました。町野にはSBN専務理事という立場もあり、本来個人で決め難いことではあったものの、結論として両名は、名実ともに関わりを深めてゆくことに。

 さらに9月下旬の会社設立にむけて準備を進める中、ソシオの女性スタッフ・中野が「住民票を現地に移したい」と決断。縁あって大船渡の一軒家に転居。以後そこがソシオ・メンバーの現地事務所兼社宅となり、地元勢との協働作業が本格化してゆきます。

民間と行政の動きをつなぐ(2011年10月〜)

 なつかしい未来創造 株式会社は9/23の設立総会と同時に、株式会社とは別に、大学やNPO、自治体などの幅広い立場から、より多様な目的を持つ人々とのかかわりを可能にするべく「生命環境産業振興協議会」を立ち上げました。

 「なつかしい未来創造」の事業・第一弾にあたる仮設商店街プロジェクト「なつかしい未来商店街」は、10月の一部オープンを目指して竹駒町・マイヤ仮設店舗の隣接地約4,600㎡を借り、コンテナを改装して開設準備を開始。
 このスタートに際して、役員の橋詰は同商店街の運営に注力するべく「なつかしい未来創造」を退任。プロジェクトは「陸前高田未来商店街」に名前を変えて、以後繋がりのある別プロジェクトとして継続しています。

 町野・服部・中野などソシオのスタッフは、設立以降さらに高い頻度で陸前高田へ通うように。同時に霞ヶ関に通い、各省庁と交渉を重ねながら、民間と行政の動きのなかでどのような〝復興まちづくり会社〟の実践が可能か。その路筋を、複数のプロジェクトの形成を通じて模索しています。

 「なつかしい未来創造」は以上のような経緯で、陸前高田の経営者たちがソシオ エンジン・アソシエイツのメンバーとともに、中小企業家同友会やソーシャルビジネス・ネットワークの協力を得ながら進めています。

 

「わたしたち」に関するメニューです。
なつかしい未来創造とは
設立のあらまし
会社・事業概要

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7月1日(土)

第一次産業、ファンドについて

池内計司さん((株)池内タオル)、百瀬武彦さん((株)大地を守る会)、鴨崎貴泰さん(信頼資本財団)、佐藤博之さん(アミタホールディングス(株))、加藤秀生さん((株)自然エネルギー市民ファンド)らと

 
7月23日(土)

防災メモリアル学研都市構想について

阪本真由美さん(阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター)らと

 
8月10日(水)

自然エネルギータウン構想について、ほか

佐藤博之さん(アミタホールディングス(株))らと

 
8月23日(火)

中小企業振興基本条例の策定と商店概事業の振興策について

高橋祐二さん(北海道下川町地域振興課)、須賀原信広さん(ウインド・カー(株))、大場龍夫さん((株)森のエネルギー研究所)らと

 
8月30日(火)

東北の自然を生かした形での第一次産業復興について 、ほか

菊池貞雄さん(北海道バイオマスリサーチ(株))、鈴木 亨さん(NPO法人北海道グリーンファンド)、加藤秀生さん((株)自然エネルギー市民ファンド)、岩坂健志さん(サンケァフューエルス(株))らと

 
9月8日(木)

伝統と文化を大切にした国際交流都市構想について

斉藤 理さん(山口県立大学、中央大学)、高村 敦さん(㈱電通)、上原 闘さん(凸版印刷㈱)らと

 

なつかしい未来創造株式会社は、陸前高田ドライビングスクール校舎裏手のプレハブを拠点に活動しています。

 
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